
1863年、染料会社として創立されたドイツ・バイエル社は、1888年に医薬品事業部を設立。
それから間もなく日本にもバイエルの医薬品が導入されています。
以来1世紀以上にわたってバイエルの革新的な医薬品は日本の人々の健康維持・増進に貢献してきました。
バイエル医薬品の詳細情報が日本に初めて紹介されたのは、ドイツでの医薬品事業本部発足と同じ1888年。製品自体が日本に上陸したのは、遅くともその翌年と考えられます。当時の日本は医学や医薬品産業の黎明期。いわゆる外国商館の全盛時代で、バイエルの医薬品も横浜や神戸のドイツ系商館を通じて輸入されていました。

日本初のバイエル直営企業フリードリヒ・バイエル合名会社(神戸)

バイエル機関誌「臨床摘録」
日本での販売体制強化のために、外資系メーカーとしては業界初の直営企業「フリードリヒ・バイエル合名会社」が創業されました。この時期は、欧州で第一次世界大戦が勃発し、輸入が途絶え、同社は一時開店休業状態となります。営業再開後も関東大震災の被害にあうなど苦難の時代でしたが、医薬品の拡張・宣伝活動は続けられました。

昭和初期のバイエルアスピリンパッケージ

昭和初期の銀座に見えたバイエル十字のネオンサイン
ドイツ本国においてバイエルを含む化学工業企業の統合が行われたことに関連して、日本でも企業統合・再編が行われ「バイエル・マイステル・ルチウス薬品合名会社」が設立。多くのドイツ医薬品が「バイエル」の商標で扱われ、バイエルブランドが広く浸透します。しかし、やがて第二次世界大戦が勃発。敗戦後、連合軍の軍政下で日本のバイエルは閉鎖を余儀なくされます。

一世を風靡したサルファ剤の第1号「プロントジル」
ドイツ・バイエル社の製造する医薬品について、輸入元を吉富製薬(株)、販売を武田薬品工業(株)とする3社契約によって日本への輸入が再開。まもなく吉富内にバイエル薬品部が設置されるとともに一部の製品は吉富工場で製剤化。さらに吉富から50名の出向社員を迎えた「バイエル薬品(株)」が、日本での16年ぶりの直営企業として再創業、医薬品業界の高度成長に伴って急成長をとげていきます。

第13回日本医学会総会でのバイエル展示

初めて電波に乗ったテレビCM
バイエル・武田・吉富の3社による日独合弁のバイエル薬品(株)が、旧・バイエル薬品の全事業を引き継ぐ形で創立。1979年には滋賀工場が竣工、その後自販体制もスタートします。1995年には滋賀工場 錠剤工場棟の竣工により一貫生産体制が完備、1998年にはバイエル薬品の製剤研究により日本で誕生した「アダラートCR錠」が発売されるなど拡張は着々と進みます。

滋賀工場全景

抗狭心症薬として発売された「アダラート」

糖尿病用薬「グルコバイ錠」
2001年3月、バイエルグループの組織再編に伴ってバイエル薬品(株)はバイエル(株)の完全子会社となりました。2002年からは脳・心血管系疾患のリスクマネジメント(CVRM)をスローガンに、生活習慣病への取り組みを本格化。また、アスピリン、アダラートなど既存製品の新たなエビデンスが続々報告される一方で、2004年には画期的なED治療薬レビトラを発売するなど、バイエル薬品はさらに幅広い領域で人々の健康とクオリティ・オブ・ライフ(QOL)向上に貢献できる製薬会社として、21世紀も発展し続けています。

ED(勃起不全)治療薬「レビトラ錠」

体積が約半分になった「アダラートCR錠20mgスモール」